2007/4/8
友人から、旧落合橋の橋げたがいまだ遺されているとの話を聞きました。
しかし、現行の落合橋だってかなりの年期物(上り線は2車線時代から使用していると思われる)。
これより古いって言ったらほとんど車がなかった時代のものじゃないのか?
旧道の線形から考えて、今より上流側にあるのはまず間違いないでしょう。
まずは、川越側の土手から落合橋を眺めてみます。
ん〜〜〜それらしいものは見当たりませんよ。
雨も降っているので、さくっとあきらめます。
その後、木橋を渡ったり寄り道しながら川島側へ向かいます。
川島側についたころにはすっかり夜でした。
土手から眺めるも、ん〜〜〜それらしいものは見えませんよ?
ん〜〜〜と思いながら、念のため、土手を下りて川の近くへ向かいます。
がせねただったかなぁ、と疑念を持ちながら川面に向かうと・・・お?
見つけた〜〜
川面に橋脚跡と思われる切り株がいくつもあります。
こ、これは相当古そうだぞ。
写真でしか見たことのないような、巨大な木橋だと、こんな感じで残る気がする。
とはいえ、あたりは既に夜。
まともに写真も撮れないし、肉眼でもよくわかりません。
木なのか、コンクリートなのかも判別つきませんでした。
近く、リベンジ!!
2007/4/13
落合橋は越辺川(おっぺがわ)、小畔川、入間川と一気に3つの川を渡る長大な橋です。
これらの川はすぐ下流で合流し入間川となります。
そのため、途中土手があり、交差点すらある特異な橋です。
まあ、それだけに、短いスパンの橋を3つ架ければ渡れるともいえます。
先日目撃できたのはもっとも川島側の越辺川を渡る部分だけ。
さて、どこまで残っているでしょうか。
まずは、川島側からアプローチします
先日は見逃しましたが、よく見ると土手からもコンクリート製の橋台が見えます。
田んぼに埋もれてますが・・・
それはともかく、現橋の脇を通り抜け、川面へ向かいます。
近づくと見えてくる橋の跡。
どうやら木のようです。
国道の木橋の遺構。そのことだけでも非常に貴重な物件ではないか!?
かなりの年季で、それぞれの切り株がいろいろな変化を見せています。
面白いのは、皮だけ残して内側が腐り、植木鉢状になっているもの。
上流からの漂流物が引っかかり、それを手がかりに地面が出来ているところすらあります。
川島側はもろに竹やぶに飲まれており、近づくことも容易ではありません。
夏場は藪でこの竹やぶにすら近寄れないかも。
コンクリの橋台は2つ残っています。
特に何の跡もないただの台。
橋台から川越側を望みます。
コンクリがあるといううことは、大正期以降の施工であることがうかがえます。
少し上流をみると、護岸工事の跡がみられます。
よく、旧橋の遺構がこの工事に飲み込まれなかったものです。
土手上から旧橋の方向を望む。竹藪でなにも見えません。
土手上から旧道方向を望む。
旧道のラインとは必ずしも一致しないので、土手を九十九折で越えていたのでしょう。
さて、現落合橋を渡り、川越側にアプローチしていきます。
現落合橋からも遺構はよく見えます。
越辺川、川越側は野原なので、アプローチは容易なようですが、生活されている方がいたので、別の
理由で近寄りがたい。
なので、上から見て終了。
土手の上に石碑がありましたが、治水の石碑なので、橋と直接の関係はなさそう。
橋の途中の交差点です。
さて、2連ちゃんの次の小畔川ですが、こちらには何も見つけられませんでした。
交差点。
さらにその次の入間川にも・・・
特に入間川は護岸工事の跡が濃厚なので、一切撤去されてしまったのでしょう。
また、橋の角度から見ても、現橋とかぶっていた可能性もある。
3川の合流点を望む
残念ですが、戻ります。
上り線の現橋を渡って戻りましたが、この橋だって結構きてる。
あまり命を預けたくない欄干です。
ほう、この辺の土手上って車両通行禁止なんだぁ・・・
現橋を銘板で確認したところ、上り線が1968年、下り線が1977年。
昭和で言うと、昭和43年と昭和52年。
上り線は来年で40年。十分古い橋です。
しかし、昭和43年まで天下の国道254号が木橋だったとはちょっと考えにくいか?
間に遺構も残っていない橋が一代あるのかもしれませんね。
しかし、国道の木橋の遺構を発見できてとても満足。
地元では当たり前のことのようですが、意外とネット上には情報ないもんですね。
2007/4/21 追記
ネットで情報をあさっていたところ、昭和48年の参議院予算委員会議事録を発見しました。
この時点で、この旧橋は現存していたようです。
東松山側のバイパスが完成し、新たな橋を架ける際に橋を落とすと言うことのようです。
ということは、ほんの30年前まであったの?