無事に橋梁区間を抜け、頂上へ向かい階段を上ります。
路盤脇には水道管のようなものが。
御神水って水道水?
路盤は緩いカーブを描きながらひたすら登ります。
しかし、すさまじい登り。階段でなければ上れない。
隙間には、ここにも残雪が見られます。
ぜ〜ぜ〜〜〜終点見えた〜〜〜
枕木と線路の跡がくっきり。
電源ボックスのようなものの残骸。
最後はかなり大規模な切り通しとなっています。
近づいているようでいつまでも近づいてこない終点・・・まだかよ。
この辺にくると、枕木の位置に鉄板も埋め込まれています。
これほどの斜度になると、枕木も支えないと落ちてしまうのでしょうか?
切り通しの石垣はまだまだ大丈夫そう。
い、いよいよ、終点。もうだめ・・・
つ、ついたぁ〜〜〜〜
・・・言葉も出ない絶景とはこのことか。
苦労して登ってきた者にだけ与えられた景色・・・じゃないです。車で来れます(T_T)
終点駅は今もレストランとして営業中です。
よって、探索はこっそり。
モノレールの車両はここにいました。
駅の階段も上って、絶景を。はぁ。いいなぁ。
あ、御神水までは300Mなんですか。
て、実はここには車で来たことはあるのですが。
さて、降ります。
下りは写真撮る余裕はない(もうぐったり)ので雑ですよ。
上着を捨てた御神水のあたりまで降りてきました。
この登山道、よく考えたらケーブルカー時代はなかったんだろうな。
ケーブルカーに踏み切りつけるとも思えないし。
て、この岩は看板立てた後に落ちたのか?謎は深まるばかりの赤城山。
さて、一応、路盤の最後まで見ておきましょう。
御神水まで道がありました。
上がってくるときは全然気がつかなかった・・・
疲れて周りが見えてなかったんだろうな。<危険だから
階段部分は崩壊が始まっています。
路盤終了・・・
おお、ここから見ると、この先の遺構は全く見えない。
上から降りてきてたらここであきらめてただろうな。
さて、道なき道はもうつかれたので、道を降りることにします。
らく〜〜〜
この登山道も石垣を造らなければならないほど険しいところに切り開かれています。
道が・・・沢になった。
あ、でもよく見ると階段状に岩を並べてあって楽〜〜〜
途方もなく険しい道ですが、道なので楽です。
渡った沢を振り返る。
おお、橋までつけていただいてご丁寧に。ん?
穴あいてる〜〜〜〜大丈夫かよ、これ。
鉄筋部分に制作者が書かれていました。
路肩注意って・・・道の真ん中に大穴ですけど?
よ〜〜〜く見ると、木々の合間に交換所の跡が見えます。
これ、でもあるって知らなかったら気がつかない。
おお、道ばたに巨木の切り株が!
寿命を全うした感じの立ち枯れた巨木。
いったい何年ここにたっていたのでしょう。
案内板があると助かる。あと、0.6Km。ん?もう一枚ある?
管理棟ですか、あまりおもしろくなさそう。
道しるべの示す先は・・・獣道?
ここからも、木々の合間から交換所の全景が見えます。ちょうど沢と平行するようですばらしい眺め。
また、橋が・・・もう信用できない(--;)
木々と同化してしまって、写真では表現不可ですね。
おお、登山道の九十九折れ、めずらしい。
砂防ダムと路盤が見え始めました。
もう、駅は近いです。
この辺にきて、登山道は岩場の中を通ります。
なんかいいぞぉ。
巨木が平気で立ち枯れてますよ・・・
最初に路盤と見えた砂防ダムと思われる。もうすぐ駅。
えらい岩場です。
とある、巨石の下に穴発見。巨石の下端の形状にも注目。
この辺って溶岩地形なんだろうか?
なにやら穴も意外と深そうでしたよ。
巨石がごろごろしています。
なんか、ちょっと平場だな〜〜〜と思っていると。
駅!!帰ってきたぁ(T_T)
広場も見えました。
登山道から、道路へ帰還!!
先ほどの案内板まで帰ってこれました。
なんか、雨が当たったような気がしていたら、うっすら雲が・・・
山の天気は変わりやすい。気をつけよう。
ああ、遠くに見える愛車が。
これ、水力発電所らしいですよ。
なんか、あほな企画やってるなぁ・・・
大会記録16分19秒?うえまで?
'90,'91,'92,H5・・・なぜ最後だけ平成?そして、企画倒れか?
登山道経由だと、2Km、高低差420m、平均して20%の勾配!!
所要時間、約2時間。は〜〜〜疲れた。
帰りにちょっと寄り道しました。怪しい道見つけたので。
かなり古めなダム発見。
鉄橋!!ひゃっほう。
通行止め標識・・・ふっふっふ。脇が甘いよ。
・・・すみません、私が悪かったです。
以上、久しぶりの山歩きで大変ぐったりしました。
また、山いがを参考に、3回に分けてみました。
こう、次のページへ行くどきどき感が見せ方としてうまいなぁと思ったもので。
2007/5/25追記
参考文献「鉄道廃線跡を歩く」のP50〜P51に記載がありました。
これによると、2カ所下路トラス橋で沢を渡っていたとのことです。
当時の絵葉書には、交換所の上流側に立派なトラス橋がかかっているのが見られます。
しかしながら、「2カ所」というのは現地の状態と矛盾するように思います。
今現在の欠損箇所が鉄橋だったと仮定すれば、交換所上流に2箇所、下流に一箇所(3連橋か?)橋があ
るはず。
現地の残存する橋げたのスパンと写真から妄想するに、下流から順に、ガーター、トラス、ガーター
の3連橋、交換所を介して1スパントラス、最後はガーター橋で築堤へ結ぶって、感じではないかと。
手持ちの資料と、インターネットの情報では、ここいらが限界かなぁ・・・
頂上に資料館があったはずだが、力尽きていてよれなかったなぁ・・・