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2007/09/17 22:43:53
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さて、福島側で思った以上の急坂にやられ、体力を使い果たしてしまったので、山形側は日を改める

ことにしました。

万世大路記念公園泊。

記念公園には旧道の地図と、栗子山隋道のノミの痕のレプリカがモニュメントとしてあります。

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さて、出発。

記念公園の地図には何の障害もなく旧道をめぐれるように書いてありますが、入り口はいきなり採石

場です。

そういえば、今日は日曜日。お休みでよかった。(もっとも、早朝だから人も来ないだろうが)

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さて、脇の甘いゲートをくぐり(-_-;)川沿いを上流に進みます。

採石場として整備されたフラットダート。旧国道らしい一定の上りがじわじわ体力を奪います。

えっちらおっちら上っていると、後ろから車の音が!

やばい、怒られる。。。と思いどきどきしてると。

「お〜〜い、どこいくんだぁ?」

「ちょっと、トンネル見に行こうかと」

「抜けらんねえぞぉ」

「ええ。知ってます。」

「そかぁ。ま、きいつけてなぁ。」

怒られるどころか激励していただき感謝。

てゆうか、日曜も仕事なの?帰りに採石場が稼動していると厄介だなぁ・・・

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その後、えらいアブにたかられました。やつらしつこい・・・

どこまでもついてくるしどんどん増えてくるし。

ここまでたかられたのは初めてですが、虫除けの必要性を痛感しました<無対策

さて、地図によると、川を渡りそのまま上流に向かうよう。

採石場の建物郡が出てきたあたりで暗渠で川を渡りましたので、そのまま上流へ。

すると、なんだか突然旧坂。つらいぞ〜〜〜〜

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ん?渡ってちょっといくとヘアピンのはずだがなぁ?

・・・迷った。一度戻るか・・・

くだりのフラットダートを気持ちいい〜〜〜といいながら、駆け下りるも、道は発見できず・・・

また上るぞ〜〜〜〜

どうやら、いくらなんでもそっちじゃないだろうと思っていた、作業場方向が旧国道らしい。

完全に作業場を突っ切る形になります。

すると、作業場の奥にこんな感じの廃棄物置き場があり・・・

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右に突然、昭和初期の橋、瀧岩上橋が現れるわけです。

地図上で川を渡っていたのはこれだったのね。。。

て、こんな時のためにGPS付パソコン持ち歩いてるんじゃないのか?

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昭和7年竣工であることを示す銘板も健在です。

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さて、この橋、上流側でえらい水噴いてます。

そして、左右の欄干の保存状態がかなり違います。

上流のぬれている欄干はきれいに現存、

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下流の乾いた欄干はぼろぼろ。

水没隋道の保存状態がよいという報告もありますが、コンクリートが形を維持するためには継続した

水分が必要なようですね。

(そういえば、コンクリ打つ時は1週間ほど水を切らさないようにするんですよねぇ)

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ころで、この真新しい案内は何?

なぜ、この一般人が入れない場所(私は特別な許可を取った夢を見たのでOK<おい)をこのように整備

しているのだろう?

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それはさておき、やっと、万世大路スタートです。

でも、意外と採石場の作業道のほうが国道現役当時に近いのかなぁ?

ここにも、明治天皇関連の碑が。

ん〜〜ちゃんと整備すれば気持ちのよいお散歩コースだと思うがなぁ(片道約7kmの)。

7Kmと書きましたが、それは現道から分かれてからのことで、採石場の敷地で既に2Kmほどをこなして

いるので、あと5Kmほどか?

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山形側は福島側とは少し雰囲気が違います。

ちょっと道幅が狭いのと、しけってる。

しけっているので、ぬかるみもそこそこあり、ちゃりに乗る機会は余りありません・・・

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ところで、万世大路。廃止後40年を経てなお、道の形を維持しているのはなぜでしょう?

ここに来てなんとなくわかった気がします。

このあたりの路盤は完全に一枚岩。

要は岩山を削って作った道なのですね。

よって、人工物がすべて洗い流されようとも道の形はいつまでも残るのでしょう。

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福島側に比べて森が茂っている分、薄暗く感じます。

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さて、目立った遺構もなく黙々と上っていくと、突如大きな切通し。ちょっと涼しい。

今までの道幅よりも広い切通しに意味はあるのか?

振り返って撮影。

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切通し直後で4輪の轍は突如消え去ります。

福島側では途切れた直後に大きな崩壊がありましたが、こちらはどうか?

その先も目立った崩壊はありません。

倒木をどかし、草を刈ればまだ4輪も通れそう。

ただ、藪はものすごい。

日当たりもよく、適度に水分も供給され、藪たちの理想郷がここにあります(T_T)。

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あとは、もうわずかな踏み痕を頼りにひたすらちゃりを押す。

とちゅう、コンクリートの擁壁を見かけましたが、写真撮る余裕もなくちゃりを押す。

早朝なので、草が花粉を飛ばす幻想的な光景を目にしつつ。

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さて、地図を見ながら頂上は近いと信じひたすらちゃりを押します。

すると、目の前に二つの穴が。

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左の昭和の隧道と。

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右の明治の隧道。

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ああ、やっとついたと思いつつ、まずは踏み痕の続く昭和の隋道へ向かいます。

・・・えらい寒い!さすがに隋道2つも並んでいると気温も一気に下がるようです。

隋道がよく心霊スポットにされがちなのはこの冷気も無関係ではないでしょう。

しかし、冷えすぎ。汗だくの体では風邪を引いてしまう。

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無事にちゃりとともに到着です。

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こちら側は崩落点が既に見えています。

閉塞点まではその先まだあるとの事ですが、一人できてこの先進む気にはならない

まして、抜けられないことはわかっているのに。

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天井のひびからはコンクリート鍾乳石が。

これが、破壊を引き起こすのか?

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・・・誰ですかぁ?

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扁額も苔生していて読みにくいことになっています。

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というわけで、いよいよ明治隋道です。

こちらへのアプローチも踏み痕がしっかりしているので、比較的容易です。

ただ、岩がごろごろしているので、転倒注意。

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さて、明治隋道。

これは・・・すごい迫力です。

素彫りの隧道ながら断面はほぼ長方形。いかに頑強な地盤か想像できます。

断面積も昭和の隋道と比べて大差ないのでは?

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立ち入ることすらはばかられる見事に苔むした岩々。

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壁面を見ると、麓の公園で見たのみの痕の本物がここにあります。

この固い岩山に、800m超の隋道をほとんどのみで掘り進んだのです。

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のみの跡は随所にみられます。

や、しかし、これは見事です。

このような人気のまったくない山に埋もれていることがよいことなのか、文化遺産として多くの人に

見てもらうべきではないのか?

ちなみに、この先昭和の隋道に飲み込まれて閉塞しているそうです。

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しかし、ここ、本当に寒いな・・・

風邪引きそうなので長居ができない。

というわけで、苦労して到達した割りにあっさり撤収・・・

さて、ここからは勝手知ったる帰り道。落ちない程度にぐいぐい帰ります。

何箇所かはちゃりもって来た甲斐があった箇所もあったなぁ・・・

例の切通しのところまでくればあとは轍のはっきりした快適な下り坂。

さらに採石場に到着すればさらに快適なフラットダート。

スピードと振動に耐え切れずにペットボトルは飛び出します。

そういえば、結局日曜日なので、採石場はお休みでした。

あのおっちゃんはなんだったんだろう???


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