上野村道1号線はぶどう峠に向かう群馬県道124号線の途中から、御巣鷹の尾根へ向かう村道である。
今となっては、上野ダムおよび神流川発電所へのアクセス道路として立派に整備された2車線道路で、かなりの部分をトンネルとして山を貫いている。
そのトンネルを縫うように旧道が存在し、途中には集落も存在する。
旧道は今でも車で通行可能。が、一箇所だけさらに旧旧道があった。
現道は広く整備され、車もはみ出さずに路肩に駐車できるほど。
左に分岐する旧道が見えます。
が、車を停めたところは旧旧道から見ると対岸で、当時はアクセス手段のなかった場所でしょう。
よって、旧道の様子が一望できます。
今となっては立派な現道が出来、広い空間があるので、なぜそこに隧道が必要なのかと思ってしまいます。
見事な岩場。
ここに道を通そうと思えば、隧道しか考えられないでしょう。
さて、早速隧道を。
手前の斜面が崩落しており、路盤が埋まっていますが、隧道そのものはきれいに残存しています。
通り抜けるにも不安を感じることはありません。(でも自己責任で!!)
思いのほか大きい。
大型車も余裕を持って通れそうなほど巨大な隧道です。
そして長さも結構なもの。
まっすぐな隧道は先まで容易に見渡せます。
地味に素敵隧道。
反対側の抗門です。何とも荒々しい。
て、住人がいらっしゃいますぅ。静かに静かに・・・
左側のオーバーハングしている岩とかしゃれにならないですね。
よく、今まで落ちていないよなぁ・・・
ちょっと右を見ると、現道があります。
なんだか、時代がミスマッチ。
現道はそのまま直進し・・・
再度橋を渡ってトンネルに突入します。
この先も旧旧道は続きます。
いまどきの白いガードレールですが、白が妙にきれい。
舗装されたあとはありませんが、なかなかの広さの道ですよ。
斜面の崩落で路面が埋まっている箇所がかなりの割合を占めますが、特に問題なく歩けます。
ただ、土砂をせき止めているガードレールの向こうは河原まで結構な高さがあるはずなので、注意。
振り返ってみると、いい景色です。
広い空間で素掘り隧道を眺める事はなかなか出来ることではありませんからね。
角度が違うと違う表情を表す抗門もおもしろい。
頂上までほぼ垂直の切り立った岩場。
なかなかに見事な光景です。
旧旧道はこのまま、浜平トンネルの坑口を横切り先に続きます。
つまり、旧旧道は橋を作らなかったわけですね。
この先は、対岸に旧道が平行します。
この先は特に特徴もなく普通の廃道。
途中で、木が落ちてましたが<倒れているというより、落ちていた感じ。
というわけで、旧道に復帰。
旧道の浜平二号橋は昭和61年竣工。
思いのほか新しい。
というか、この辺は昭和61年まで未舗装で素掘り隧道だったのか・・・・
ん?昭和61年ってひょっとしたら・・・
昭和60年に発生した日航機事故。
この道はまさにその事故現場である御巣鷹の尾根への唯一の車道。
この橋の竣工はその翌年ですから、慰霊に訪れる訪問者のためにこの旧道が整備されたということでしょう。
その後、東京電力のために整備された現道。
大企業の威力を感じます。
昭和末期に整備された割には道幅が細いあたりは村道規格ですね。
旧道より旧旧道の崩落を見る。
木が落ちていたあたりですね。
なかなか、変化が面白い道路ですね。
旧旧道:隧道一本
旧道:橋2本
現道:橋2本+トンネル
隧道掘るより橋作ったほうが楽なんじゃないだろうかと思うのは素人考えか?
今立っているのが、旧道。左のガードレールが旧旧道。真ん中あたりに見える白いトンネルが現道。
旧道は途中まで現道と路面を共有し、現道がまっすぐトンネルに突き進むのに対して、車を停めたあたりで川を渡らずに左に折れます。
その後、さらに川を渡り、旧旧道と合流します。
この短い区間と、谷間の狭い空間にどれだけ道路作れば気がすむんだか・・・
さて、最後に旧道と現道が共有する浜平一号橋
竣工は平成9年と現道の年代。
ダム関連工事で整備されたときに架け替えられたようですね。
浜平一号橋より隧道のある対岸を見る。
頂上までの見事な崖。。。