さて、先に進もう。



エンジン小屋の反対を見ると、こちらにも索道の続いていた跡がある。

つまり、この小屋は、中間停留所の跡地を利用して作られていると考えるのが無難。


 


 




こちら側の跡は破損が激しいように見える。

柱は軌道のレールを利用した鉄筋コンクリート造り。

普通ではない酸性雨にさらされ、コンクリは溶けてしまっている。


 


さて、情報も少ないので、今回は、尾根伝いにヒントを探すことにする。



尾根伝いに少し歩くと、またも、遺構に到達した。

形状からも、索道関連遺構と思われるが謎。


 




この場所もなかなかの広さを持った施設だったようだ。

今は、到達するのも困難な場所なのに、これほどの資材をどうやって運ぶのだろう?


 




この場所からも、簀子橋堆積場がよく見える。

先ほどと比べると、角度が変わって、ダムがよく見えるようになってきた。


 




足下は、足尾らしい、荒れた土の斜面。

その下も切り立った崖なので、足を踏み入れるのは危険。


 


さて、まだ先は長い。




少し尾根筋を進むと、今度はこのようなコンクリの塊が出てきた。

まあ、何かのアンカーかな?


 




基本は尾根を進んでいるのだけど、しばらくすると、道が現れたので、それに従って進むことにする。

途中電柱があったりもするので、当時の管理道のようなものだったのだろう。

今でも登山道レベルの快適に歩ける道だ。


 






危なそうなところには、このように板を渡してくれたりもしている。

ベースは単管パイプなので、最近のものだろう。



まあ、これがあった方がよかったのかなかった方がましかは微妙なラインだが。

(山道にはよくある話で)


 




お、また、平場だが、何かありそうだぞ??


 




おおお、これは、屈折を伴う中間停留所跡で間違いないだろう。


 




かなり、大規模な遺構だ。

場所から考えるに、これは、水山索道の有越中継所と言われるものの遺構ではないかと。


 




限られた地形に建設されているため、土台を出しているが、崩壊してよくわからないことになっている。


 




水山索道は、この有越中継所で向きを変え、水山停留所へ向かう。

遙か対岸に見えるあの堆積情が目的地の水山停留所だったのだろう。


 






正直、ここの構造はちょっと不可解。

角度が90度違うような・・・

まあ、崩壊している部分も考えれば、それなりの構造なのだろう。


 






表面つるつるの鉄筋も、大正元年の竣工という時代と合っている。


 




こちらは、通洞側の施設。

ここに鉄塔建ててたんでしょうねぇ。

なんか、いかにもな構造でいいですねぇ。


 




さて、この先は、戻りながら円柱を探すことにしよう。