白岩、吾野間を結んでいた索道だが、2カ所の中間停留所が存在し、それぞれ屈折点となり、向きを変えていた。
幸い、索道本に当時の地図があり、2枚の写真(吾野停留場と穴沢中間停留場)もある。
これらの情報から、現場を特定したいと思う。
穴沢停留場の場所は、現在の県道395号線沿いではないかと疑われる。
この県道が目指すのは、天目指峠。なかなかすごい名前です。
索道本の地図はかなり古いものだが等高線から現場を特定してみた。
現地、県道西側にはこのような広場がある。 多くの石垣が残されており、いかにも何かの遺構であることが疑われテンションも上がる。
石垣は、隙間にコンクリ充填されており、施工方法としては、昭和13年という白岩索道の着工時期と一致するようにも思える。
これら石垣により、大きな平場が確保されている。
おそらく、このあたりに関連施設があったのだろう。
何かしらの、コンクリで構成された穴を発見した。
何かはわからない・・・
さて、県道の東側も探索する。
早速人工物を発見。
これは、茶碗かな?
また、周囲に石灰岩のかけらも多い。
穴沢停留場の跡としての自信を強めてきた。
こちらにも石垣はあるが、規模は小さい。
うーん、なんか、積み方違う気がするな。
こちらの方が古いものに見える。
なんか、西側の遺構は怪しいな。
ん?これはなんだ?
天然石にしては、きれいな正方形をしているようだが?
間違いない。
コンクリート構造物だ。
ここが、穴沢停留場で間違いないでしょう。
索道本の写真をみると、穴沢停留場から急坂を登っていく索道が中央に写されている。
そして、手前に左から斜め右への索道も見える。
つまり、この写真は東側から西側。名郷方面を見た写真である。
写真を見ても、結構大規模な施設だったことがうかがわれる。
しかし、間に沢があったことは変わりないはずだ。
写真を見る感じでは、少なくとも大きな建築物は東側に集約しているように見える。
おそらく、この写真が見えるエリアに停留場が構成されていたのだろう。
現在は杉林が植林されており、イメージしにくいが、それなりの平場は確保されている。
よって、ここで確定で。
その後、参考文献に挙げている、「戦前の鉄鋼生産を支えた奥武蔵山中の貨物索道」と、出会ったが、こちらの著者も、現地の古老へのインタビューを元に同じ結論へ至っていた。
熱心に研究されている方と意見が合うと安心。
西側遺構については、判断保留です。
場所的に関連遺構と言うこともあり得るが、索道本の写真には、その位置に特別な施設は見つけられない。
あとの時代の全く関係のない遺構の可能性もある。
というあたりで、穴沢停留場については、これまで。