大変よく調査されていて、口を挟む余地のない参考文献、「戦前の鉄鋼生産を支えた奥武蔵山中の貨物索道」だが、一点だけ、明らかな間違いがある。
「吾野の停留場は、土砂崩れで流されてしまった」
平成11年8月14日、吾野駅をも巻き込む大規模な土砂崩れが発生した。
さすがに平成の世の災害であるので、ネットで検索してもすぐに写真が見つかる。
その写真を確認すると、吾野駅のホームが土砂崩れに飲み込まれている姿を確認できる。
だが、駅舎やホームの屋根がある部分は無事のようだ。
以上の事を踏まえて、吾野荷卸停留場について考えていきたい。
さて、今回乗り鉄回です。
道の駅、芦ヶ久保に車を止め、芦ヶ久保駅に向かう。
道の駅は満車。密です。
あじさいの時期ですね。
ちょっと、薄いようだが。
駅に着くと、不思議電車が止まっていた。
乗り遅れるかもと思って、ちょっと急いだが、そもそも乗れるものではないようだ。
なんか、中何もないんだが・・・荷物車?
あ、なんか聞いたことあるな。
たまちゃんがブログかなんかで言ってた「52席の至福」ってやつか。
普通列車が来るまで様子を見ていたら、芦ヶ久保の道の駅まで乗客が見学行ってた様子。
2号車はちゃんと席あった。
なんか、ドアだったところに当たったらいまいちだなぁ。
普通列車を待っていると、弾丸電車が通過していきました。
・・・そろそろ時間だが、派手電車発車しないな。
そこにあなたがいると、私が乗りたい飯能行き来ないと思うのだけど?
あ、きた・・・って逆走???
ええ~~~秩父方面行きに飯能行き来たんだけど?
そうこうしているうちに不思議電車発車。
そのあと、秩父行き普通が到着。
ん~~~ホーム逆なんですけどね。
閑話休題
乗り鉄回を語るにしても話がそれすぎた。
さて、吾野駅到着。一度出ます。
さて、本題です。
吾野駅から西武線に乗ろうとすると、踏切を渡り、ホームに上がることになります。
見えるのはこのような景色。
なんか線路多いっすね。架線柱もずいぶん幅広い。
現状、4本の線路は生きている様子で、それだけでも山の中の駅としては十分大規模だが、さらに奥には本線につながっていない、錆びたレールがある。
また、信号の下に、0キロポストが見える。
運用上、吾野駅はただの途中駅に見えるが、吾野は池袋線の終点であり、秩父線の起点。
秩父線開通までは、重要な終着駅だった。
で、もう、結論を言ってしまうのですが、これが、「吾野荷卸停留場」遺構ですよ。
このエリアは土砂崩れでも影響を受けていない。
索道本には、「吾野荷卸停留場」の写真がありますが、高所に索道が到着し、ベルコンにより、ホッパーに送られている。
ホッパーから左右の線路に止められた貨車に鉱石の積み込みがなされていたのではないだろうか?
もう、これ、間違いないでしょう。
右の何か巨大パイプがつまれているコンクリ台、これは、ホッパーの跡以外何物でもないですよ。
ホームからはよく見えないが、向こうに1線分の隙間があるようにも見える。
あたかも、ただの資材置き場のようにカモフラージュしているが、資材置き場と考えると明らかにおかしい。
わざわざ、現役線路側に張り出した土台を作って資材を置く意味がない。
ここに資材置き場を作ったのではなく、ここに古い土台があったから資材置き場にしたに過ぎないのだ。
あまりにも、当たり前に見えすぎて、誰もそれが何かを考えなかった、「吾野荷卸停留場」
それは、日常の光景に溶け込んでいたのだ。
さて、せっかくなので、吾野湧水まで歩いてみました。
何度も来ている場所なので、トンネルでいけることは知っていたが、実際いくのは初めて。
とんねる?
「トンネル」の天井は私の身長よりも低いため、常にかがんで歩く必要がありつらい。
はい、湧き水。一口飲んでさっさと戻る。
行きは気がつかなかったけど、スイッチがあった。
押してみると、点いた!!
すごい!この手のスイッチで生きてるの初めてかも!!
ほらー、ただの水路じゃん、こんなん。
これで終わりかって?その2をお楽しみに。
おまけ:
いろいろ動画撮りました。
白岩吾野石灰運搬索道、吾野荷卸停留場
パノラマ写真代わりに、動画にて全貌を記録しています。
Laview(弾丸列車)、吾野駅を通過
普通列車、吾野駅にて待ち合わせ。あ、乗らなきゃ。
正丸隧道、正丸駅 -> 芦ヶ久保駅間
2:09あたりから、比較的珍しい、隧道内信号場が見える。
(そういえば、正丸隧道初めてだったかも?)