さて、その1ではあたかも写真と現状から遺構特定したように思えるかもしれないが、もちろん、他にも根拠がある。
初回探索で、索道遺構と疑うに足る根拠を見つけていた。
さて、停留所の場所と疑わしい場所へアプローチした。
斜面を登ると、コンクリ塊を発見。
その1で確認した、駅から見える遺構と雰囲気は似ている。
コンクリ塊自体には特別な発見はなかったのだが、斜面の上を見ると、いろいろ鉄が見える。
本命は上か!!
もはや、線路利用の遺構も珍しくはないだろうが、関連鉱山で利用されている遺構との関連性があるように思う。
つまり、索道遺構の疑いは強い。
さらに上を見ると、一枚板の鉄板による土留めが見える。
あまり、近年では見かけない施工だが、その上には何があるだろう?
登り切ってみるとそこは平場になっていた。
いろいろな資材が見受けられる。
明らかに人の手が入った材木が落ちている。
この先は、天然の岩になっており、自然地形のようだ。
何かしらのコンクリ台もあるが、この状態から何かを想定するのは難しい。
先ほど見えた、鉄板の土留めにより、このレベルはきれいで広い平場が確保されている。
・・・あれは???
バケット来た~~~~!!!
やった!やはりここが吾野荷卸停留場なんだ!
場所、構造、状況が全て索道本の情報と一致する。
もはや、木に食われてしまっている、小ぶりのバケット。
索道本によると、積載重量300Kgとのことなので、これくらいの小ぶりのものなのだろう。
もう、動かすことも難しい。
この場所で、歴史の生き証人として後世に伝えてほしい。
バケットを吊っていたであろう軸もかろうじて地面から出ていた。
無骨なリベットが時代を感じさせて素敵だ。
土留めは、一カ所決壊してしまっている。
H鋼で鉄板を止めているだけの構造のようなので、逆によく一カ所だけで済んでいるなと言う印象。
土留めが終わると、遺構もなくなるが、最後に何かありそうだ。
まずは、いくつかの木材が並べられている。
かなりの太さで、大きな力を支えていたことが想像される。
そして、コンクリートの塊。 ちょうど、穴沢の停留所で見かけたものと大きさが似ているように思う。
やはり、一連の構造物であると思えて仕方がない。
場所から考えると、まさしく、索道の終点。アンカーに当たるだろうか?(それには弱すぎる?)
以上、消失したとされていた、吾野荷卸停留場を発見したという報告です。
当時の写真と状況は一致しており、間違いないと考えています。
写真から見ても、木造索道だったことがうかがわれ、昭和25年に廃止された索道としては、十分残存し楽しませてくれました。
なお、ホッパー山側にも引き込み線がありそうでしたが、現状は埋められているようです。
だが、駅側の1線分は、いかにも線路跡のよい雰囲気を残しています。