あった~~~!!


ちゃんとありました。

山の斜面を削って、索道塔の平場を作った感じですかね。

雷電山の峠越えも木製索道で崩壊していたが、こちらも同じ作りだったのだろう。

峠越えの背の低い索道塔ではよくある傾向に思う。



二俣尾方面にもプーリーが転がっている。

また、ワイヤーがあったであろう部分にはアスファルト状になってしまった油分がねっとりと。



しょっぱな見つけた場所が、大規模な拠点だったようで、プーリーが散乱している。

一定の距離を低い高さで受け止めて、荷重を受け持っていたのだろう。

このあたりの作りは、日立の複線式索道とはだいぶ違う感じですな。

まあ、単純に古いと言うこともあるが。



ワイヤーは撤去されたのではなく、自然に帰っていったようですね。

少しだけ残っている箇所もあります。

鉄すらも自然に帰っていくのだなぁ。

プーリーもいつかはなくなっていくのだろう。



さーて、では、まずは二俣尾側を解明していこうか。