1988年に廃止となった青函連絡船。
本州と北海道を結ぶ重要な役割を担っていたこともあり、地元の思い入れは大変強い。
今現在、当時の姿を偲ぶ事が出来る船は、函館港にいる摩周丸、東京船の科学館羊蹄丸、そして青森港八甲田丸と3隻ですが、資料という意味では八甲田丸が一番。
他の船は内装をかなりいじられてしまい、あまり資料が残っていない。
それに対し、八甲田丸は一部改装されてはいるものの、当時の客室も保存しており、果てはエンジンルームまで見学することが出来る。
当時を知る人には八甲田丸が一押し。
さて、早速当時の客室を・・・
展示物はどおでもいいとして、このような座敷だったんですよね。
座敷にごろ寝しながら4時間の船旅をしたことを覚えています。
青函連絡船には船ごとにマスコットが与えられていました。
まずは十和田丸
摩周丸、函館で見ることができます。
松前丸
お?なんだこれ?
八甲田丸。この船。
空知丸。最後まで生き残った唯一の貨物専用船。
客室はないものの、細身のその姿は結構好きです。
羊蹄丸。お台場で会えます。
一時は、塗装も変更され、当時の面影もなくなりましたが、現在は当時の塗装に戻され、よく保存されています。
津軽丸。一連のディーゼル船は津軽丸型といわれることからもわかるとおり、この船が一番船です。就航が早かっただけに引退も早かったです。私は乗った記憶がありません。
大雪丸。熊かわい〜〜〜
桧山丸。空知丸と同型の貨物船に客室をつけたもの。
青函連絡船の末期には自動車輸送も行っており、桧山丸はたくさん車の乗る船でした。
津軽丸型はわずか12台に対し桧山丸、石狩丸は20台も積めます。
貨物船の一番船(たしか)、渡島丸です。>
以上、近代船の紹介はおしまい。以下、昔の船。
第1青函丸。ん?これ、交通博物館で見たような・・・
お、違う。交通博物館は第2青函丸だった。
翔凰丸。青函連絡船初の客貨船とのこと。
どちらの船も青函連絡船の特徴である車両甲板がよくわかります。
かの有名な洞爺丸。後ろの船が渡島丸(津軽丸型より大きな貨物船なので小さく見えますが、十分巨大な船です。)p>蒸気タービン船なので、4本マストからは、もうもうと黒煙を上げての運行だったとのこと。
そんなわけで渡島丸。貨物船故、甲板はシンプルなもの。
洞爺丸沈没の最大の原因になったといわれる車両甲板口がよくわかります。
第一青函丸の頃は3線だったのに、このころは単線なんですね。
近代船である渡島丸(津軽丸型も同様はt、洞爺丸での反省もふまえ、鉄製のシャッターを備えて、海水の侵入を防いでいます。
近代船の代表格、津軽丸。
青函連絡船は荒れた津軽海峡を何往復もするため、短命です。
巨大な青函連絡船はタグボートの助けなしには接岸できません。
当時のグリーン室も2列だけ残されていました。
いやぁ、懐かしい・・・って嘘ですけど。グリーンなんて乗ったことないし。
ものによっては壊れていますが、がっかりしないでね。
寝台もありますよ。一度も乗ったことはありませんが。。。
とはいえ、所詮4時間ですから、ぐっすり寝れないよねぇ。
これから先のエリアは現役当時は入れなかったエリア。
だれだ!!
ちょっと、危ない船長・・・
船首を望む。
もう、ぼろぼろですよ・・・
現役当時を知る人には何となく懐かしくありません?この扉。
操舵室。雪国特有の丸窓が印象的。
この、ロープワークは一般客室になかったっけ?
すごい見た気がする<すごい見たとは、幼少のこと、これの前で立ちつくしていたと言うこと。
操舵室より愛車を望む。じゃ、行って来るよ〜〜〜って、言いたい気分ですよ。
船首のポールさえも錆落ちてしまい、郷愁を誘う八甲田丸。
きれいな姿でいてほしかったけど、今までの経緯を思えば、存在していること自体に感謝しなければ・・・
無線室のコールサイン。私と同じで失効しているのでしょうね。
さて、甲板にでてお散歩しますか。
今更ながら、ドアは木製だったんですね。
新しい船という印象でしたが、昭和40年代の船。
よく考えると、かなりの年期です。
このまま放置していると、悪くなる一方だとは思うものの。
もはや、レーダーが機能することもあるまい。
青森駅の様子もだいぶ変わりました。
ですが、駅からの跨線橋は形を変えても生き残っている。
寄贈された鯉のぼりを掲げていたそうですよ。
救命船も朽ちています。長い月日を感じます。
見学していると、フェリーが出航していく様を見ることができました。
これって、結局サブ煙突なんですよねぇ?
前々からの疑問。
なにもない甲板。少しむなしい。
以前はなかった煙突展望台ができていました。
当然、現役当時には近づくことすらできなかった。
そういえば、現役当時一度だけ煙突のぞいたことあるのよね。
その時はなぜか鍵がかかっていなかった。
ものすごい音で充満していたことは覚えているけど、真っ暗でなにも見えなかったから、本当にここだったのかどうか。。。
一段下だったかな?
巨大なマフラーが4本。少し小さいものがいくつか。
階段登りますよぉ。
はうう、めかめかしくて、たのしいよぉ・・・
さて、外に出ました。
残念ながら煙突の先端は塞がれていました。
ある意味当たり前か?
や、宣伝文句に違わずすばらしい眺めです。
救命ボートの中もよく見えます。
なにやら、煙突から左右に出ていましたが・・・わかりません。
煙突に至るハッチは当時からのもののようです。
ということは、このような床板は当時から存在していたのですね。
後ろもよく見えますが、ベイブリッジで遮られ・・・
あ、駅の眺め、いいですね。
煙突から貨物船の出航もみれました。
ハッチの作動シリンダ。当時もの?新しく見える。
津軽丸型では2隻の救命ボートしか見えず、不安を感じるかもしれませんが、大丈夫。
この丸いものがすべて救命ボートです。海へ落ちると自動で広がります。
さて、いよいよ、青函連絡船の最大の特徴、車両甲板へ。
八甲田丸のマスコットをヘッドマークとした車掌車。
展示されている車両は貴重なものばかりではありますが、現役当時にここにいたものではないんだよなぁ・・・
屋内保管ですから保存状態はよさそうですね。
本来の規格よりも小さいとはいえ、鉄道車両のはいる空間ですからえらい広いです。
写真の撮り方による発色の違いを楽しむ。
蛍光灯が結構いい雰囲気ですね。
ふと、脇を見ると船底にいることを思い知らされます。
まだ、ここは海面より上ですが。
順路・・・や、その先は?
おお、連結器。
おお、エアブレーキもついているのね。
連結した上に、車両のブレーキをかけ、その上ワイヤーで固定する。
津軽海峡の時化を考慮すればここまで必要なのか。
船長?現役当時の張り紙なの?それとも、いまいお手入れしている方々の茶目っ気か
途中いくつか、このようなウィンチを見かけました。
何のためにあるものなのかわかりませんでした。
キハ82です。
車両甲板では本来の規格よりも小さな断面を使用しているので、特急車両とかは奥まで入れないのです。
さすがに車両搬入口の鉄扉は固く閉ざされています。
津軽丸型は入り口3線ですが、内部は4線。よって、船内にポイントがあります。