あああ・・・
あったー!!!
「現存しない」とされた猿沢索道円柱だが、ついに、その土台を発見した!!
その記録の通り、直径は3mほどか。
この上に30mの塔が立っていたという。
見たかったなぁ。
重要な参考資料である索道本には鉄筋コンクリートとあった。
また、足尾歴史館の文献より、円柱はレンガだったという記述もあった。
現物がそこに存在すれば事実がわかる。
事実はご覧の通り。「煉瓦」だ!
では、索道本の表記は誤りなのか?
そうではなさそうだ。
表裏共に表面は煉瓦だが、芯となっている部分は鉄筋コンクリートと言っても良さそうだ。
このような技術の確立していない時代のオリジナリティーこそ近代技術遺産の醍醐味。
円柱内部もきれいに残っていた。
そりゃあもう、きれいすぎるくらいきれいな煉瓦。
ああ、本当に残っていてくれた・・・
コメントいらないですよね?
・・・
隣の尾根から見えた露出した尾根は本当に円柱の隣だった。
幸い、我々は、円柱に呼ばれる幸運があったようだ。
3人でこの空間を満喫中。
ああ、あったよぉ。よかったよぉ。
実際の円柱の現状はこのようになっている。
片面は完全に崩壊してしまっている。
見た目はほとんど崖の途中ともいえるよううな立地。
岩盤は安定しているのだろうか?
現役当時の写真は、斜面に突然生えている印象だったが、まさにその通りの状況だ。
うーん、絵になるなぁ。
どんな写真撮ってもいい感じだよ。
しかし、なぜ片方だけこんなに崩落しているのだろう?
いやぁ、この空間くつろぐなぁ。
いつまでもいられそうだ。
そして、円柱からの眺めはこんな感じ。
現役当時は、この視界の中が索道だらけだったのだ。
少しだけ尾根を下る。
すると、そこにはおびただしい量の煉瓦とコンクリートの破片が散らばっている。
つまり、円柱は爆破解体されたのだろう。
先端にあったはずのプーリーなどは発見できなかったが、回収されたのか、絶望的に深い谷に飲まれていったのか。
比較的大きな煉瓦の塊を発見した。
もう、間違いない。
鉄筋コンクリートによって補強された、煉瓦造りの円柱、直径3m高さ30mのその円柱はここに実在したんだ。
名残惜しいが、今日は帰ろう。
また、来ますね。
途中、体力が尽き果て、じじい一人で休憩。
yazzさんともぎさんは水山索道遺構を見に行き、私はゆっくり移動。
コンクリートアンカーで合流し、下山しましたとさ。
もぎさん、撮影の一枚から借用。
いい思い出になりました。
完結
猿沢円柱計画、第4回探索その2 |
第4回探索、そして円柱へ |