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トップ  >  戦争遺跡  >  函館山  >  千畳敷要塞、その2


月見台という地名は、散策コース案内図にはなかったが、明らかに雰囲気がおかしい。

周りは、このような石造りの擁壁に囲まれている。


 




まずは、わきに坂道もあるので登りつつ探索してみるか。


 




うん、明らかにもう始まっているな。

どうやら、既に千畳敷要塞のエリアに入っているようだ。


 




ふと、広場の端にある石碑が目に入った。

近づいてみてみると・・・



「皇太子殿下御野立所」



おおーい!!とんでもなくすごい場所じゃないか!

この函館山要塞の重要性がわかる。


 




裏に回ると、明治44年のことだったようなので、大正天皇が皇太子時代に来た場所のようだ。



当時、津軽海峡を渡って函館の地に渡ることは大変なことだっただろう。


 




おおお、はじまった。


 




おそらく、二門程度の砲台が置かれていた場所だと思うが、地面は整備し直されてしまったようで、よくわからない。

詳しくは研究者がいるだろうから・・・<丸投げ


 




階段がある。登ってみよう。

左下は弾薬庫かな?


 




さすがは軍用砲台。

その見晴らしは素晴らしい。

ここから夜景見たら良さそうだなぁ。。。


 




ふと、右を見ると、要塞が見渡せた。

緑に覆われて認識しにくいが、今まで見えていたのはごく一部だったことがわかる。


 




先ほどの写真の通り、行く先はゲートで封鎖されていたので、林道経由で先に進もう。

林道から先ほどの砲台跡を見ると、実に巧妙に隠された窪地であることがわかる。

ここから砲弾が撃ち出され、放物線を描いて目標へ到達するのだ。


 




同じ山にあるが、御殿山とは雰囲気が違うように思う。

でも、写真を見比べると似たようなものなので、単に観光地として整備されているか否かの違いか?


 




さて、林道を歩くと、左にあのような建物が見えるがあれがいい目印になる。



なんか、景色が飛んだように見えるかもしれませんが、見る向き変えただけですよ。

右の藪の下は全て要塞です。

現在要塞まっただ中。


 




さて、ずっと続く藪の中、ここだけ唐突に通行止めになっています。

なぜか?ここが道だからなのですが・・・



まあ、それは別のお話。今回は到達できなかったし。


 




なにやら、井戸?のような箇所があった。

この辺は、他の砲台では見たことがない。

やはり、砲台だけではなく、司令所の機能も持っていた千畳敷ならではの設備かと


 




おお?車だ!

ここまで車で来れれば楽だなぁ・・・

(工事関係者のみです)



ここからの景色もまたひと味違うねぇ。

夜景撮影で夜中に歩くのもいいかもね。


 




先ほど見えた建物に到着。

よくわからんです。



が、ここから、要塞探索の拠点となる。


 




後ろを振り向くと要塞。

ここも砲台跡かな?

あの階段から降りるのが簡単そうだ。


 




先ほどの建物(左上に見える白い建物)も、要塞跡を基礎にしてに建っているようだ。



まずは、奥に行ってみよう。


 




この時代の要塞跡でよく見るアーチ状の部屋とその開口部だが、煉瓦部分の痛みが激しい。


 




部屋が大きいためか、使用目的が違うのか、よく見る窓付きの形状とは異なる。


 




先ほど見えた井戸のような場所にも来れた。

まあ、何なのかはよくわからなかったのですが。


 




その先は・・・藪~~~~



探索する気が起きない~~


 




先ほどの藪を無理しても、その先は既に行っている砲台跡なので、別の場所に来ました。

現役建造物のわきを通った奥だと記憶していますが、地下道を発見。


 




地下道を通ると、幻想的な場所にたどり着いた。

建造から100年は軽く超えているはずだが、煉瓦の角が丸まることもなくしっかり残っている。


 




おお、この時代の標準的な開口部ですね。

出入り口と左右の窓が特徴的。


 






その上部は、円形の遺構が残っていた。

測量機があった場所なのだろう。


 




先を見ると、津軽海峡がよく見えた。

手前が地名の由来となった千畳敷。

険しい函館山にあって、広大な平場となっている場所だ。



要塞の拠点となるにはごく自然な流れか?


 




平成最後の更新だが、あえて戦争遺構を取り上げた。



函館山要塞は、結局射程に敵艦が来ることはなく、一発の砲弾を撃つこともなかったという。

では、無意味だったのかというとそんなことはなく、ここに要塞があることで威嚇の効果があり、戦わずして威力を発揮していたのだ。



戦争という過去と向き合った今上天皇と戦わなかった戦争遺構を思い、今回は閉めましょう。


 

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