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さて、その1でお話ししたとおり、猿沢集落にお住まいだった方から連絡をいただき、貴重な資料をいただいた。


掲載について、快くお許しいただけたので、ここに、共有のため、上げていきたいと思います。



ご高齢にもかかわらず、Wordを活用した資料を作成、送付いただきました。


まさしく、我々が猿沢集落跡から妄想した円柱の景色と完全一致。


また、未探索(というか、未レポートかな?)の操作場のも見受けられます。



こちらは、猿沢鉄索操作場に入る索道だそうです。


写っているのは、当時働いていた方とのこと。お名前もいただいていますが、内緒。



そして、有越神社のお祭りとのこと。


まさしく、我々が見つけた円柱側の尾根にある祠の跡であろう。


当たり前かもしれないが、当時はしっかりお参りされていたことがわかる。


 


個人的には、猿沢集落から対岸の有越まで行くのは一日がかりの道のりと思うが、当時のこどもはひょいひょい行っていたのかな?


まあ、今と違って道もあったのだろうけど。



当時のこどもたちの集合写真。


写った索道から、複線式だったことがわかる。


足尾では、単線式、複線式が混在していたようですね。


 



最後に、猿沢索道の全貌を図示いただきました。


こちらもExcelでの力作。


猿沢は複線式で、鉱滓を運ぶ索道だったことがよくわかります。


有越との関係も非常によくわかります。ありがたい。


 


いただいた情報は以上です。


当時の写真をいただけたことにより、やはり現実だったと言うことと、あの、到達することも困難な山中に集落があり、人の営みがあったこともわかりました。


 


貴重な情報を提供いただきありがとうございました。


 

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