さて、大分戻ってきたかな?
行きは、様子を見ながら歩いていたが、帰りはあっという間。
明確な掘り割りを進んでいくが、倒木が道を塞ぐ。
うーん、また平場に出たようだ。
ロストするかなぁ?心配だなぁ?
・・・なんてことだ。美しく、こけに覆われた路盤跡。
自分の中では有数の美しい廃線跡ではないだろうか?
ごくわずかな盛り土が廃線跡を明確にし、そこだけに緑の絨毯が敷かれている。
美しい絨毯の上には立派な木が生えている。
廃止から100年の時を感じられる
ところで、なぜこうも見事に路盤だけが美しく緑なのだろう?
きっと、栄養が豊富なんだろうな。
なぜなら、ここは馬車軌道。ばふ・・げふんげふん
先にすすもう。微妙な地形の変化に合わせて、築堤と掘り割りが続く。
今は足尾に向かっているので、少しずつ標高を下げて行っている。
おや?路盤は明確だが先がなくなったか?
・・・ごっそりいっている。というよりは、完全な谷だけど、深い。
これ、深さすごいけど、どういうこと?
ふむ。右側の斜面はゆるそうなので、降りてみよう。
石垣は残っているが、少し崩れてしまっているようだ。
やはり、崩れている。
石垣の隙間から生えている木もそれなりの大木になっている。
下から見ると、思いのほか立派な石垣だ。
というか、これが、橋台なのだと思うのだけど・・・この高さ?
え?明治時代だよ?
ここにどんな橋が架かっていたというのか???
谷に降り立つと、不思議な空間だった。
こんなに深い谷なのに、広い平場があり、緑に囲まれた快適な空間だ。
上流には砂防ダムがあることもあり、地形が改変されているのだろう。
そりゃあ、そうだよな。この高さの橋梁は明治時代には考えにくい。
対岸には石垣は見当たらないが、天然の岩盤が露出しているので、これらを橋台として活用したのだろう。
神子内川、本流へは少し距離があるので、このような空間が広がる。
河原に木がはえているあたりからも状況が安定していることが想像される。
さて、対岸を上ってみると、少しだけ石垣が残っていた。
引き続き、探索できそうだ。
先の平場も明確で、迷わず探索できそう。
木の間から神子内川の対岸を見ると、セメント工場が見えた。
予定していたエリアの終わりは近い。
一部、道が狭くなっている部分があった。
元々狭かったと言うよりは、山側が崩れてきている感じだろうか?
今までの道もナローの馬車軌道と考えると、路盤が広かったように思う。
もしかしたら、この区間は全線複線と言うこともあり得るかもしれない。
突如立派な石垣が現れた。
そして、その前の平場は広大であり、何らかの施設があった場所なのだろうと想定される。
すすむと、突端にたどり着く。
素晴らしく正確な平面が残されている。
そして、その先は、やはり先ほどと同等の深さの谷となる。
うーん、やはりこの高さなのか?
先ほど見たところだと絶望的で降りられなそうな感じだったが、幸い脇には緩い斜面があり、問題なく降りられる。
そして、今までで一番だろうか?大変立派な石垣が続く。
おお、立派な石垣だ。
先ほど上から眺めたのがここだな。
橋台なのだろうけど、複線とみてもいくら何でも広すぎる。
やはり、線路以外の何かしらの施設があったのだろう。
谷底から見上げると、やはり先ほどの谷と同じくらいの高さがある。
現代の常識では考えにくいが、この高さの橋梁がここにあったのだろう。
時代を考えると木橋のはずで、その痕跡が何もないのはごく当たり前のことだろう。
対岸を見ると、遙か高いところに石垣が見られた。
しかし、こちらと高さが全く合わないので、橋台と言うよりは、路盤保護のための壁でしょう。
それ以外のこちらと高さが合いそうな地形は全く見られず、この写真でもなんとなく崩れた系先が見られるので、崩れてしまったのだろう。
この先は、地形的にも探索が難しそうなのと、現役の施設が間近なので、探索はここまで。
すこし、神子内川を下流に歩いてみたい。本流に出よう。
・・・はい終了。
本流出た途端砂防ダムで足止めですよ。
では、素直に帰りますか・・・
と、言うところで、今回の探索は終了です。
100年前に廃止となった馬車軌道は、思いのほか遺構を残してくれていました。
足尾馬車軌道、その4 |
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