「戦前の鉄鋼生産を支えた奥武蔵山中の貨物索道」を参考に、本索道の歴史についてまとめる。
索道に特化しまとめているため、社史も知りたい方は参考文献を参照のこと。
昭和13年11月、武蔵野鉱山株式会社設立。
昭和13年、日本索道株式会社に対し、白岩吾野石灰運搬索道の建設を発注。建設開始。
昭和14年、 白岩採鉱場操業開始。同時期に吾野採鉱場も操業開始(吾野採鉱場索道については不明)
昭和20年8月17日、全鉱業所生産休止、ほとんどの従業員を解雇 。
昭和21年4月、再開、出荷開始するも索道は未開通
(索道未開通状態での白岩採鉱場再開は困難であろうから、吾野採鉱場のみ再開と思われる)
昭和21年、白岩吾野石灰運搬索道の補修を開始
昭和22年4月、白岩吾野石灰運搬索道再開
昭和23年10月31日、GHQ撮影の航空写真に吾野採鉱場索道を確認できる。この時点では既に稼働していたと思われる。
昭和25年4月、白岩採鉱場、休山 。このあと白岩吾野石灰運搬索道が再開されることはない。
昭和35年、飯能市発行昭和35年測図、昭和48年修正の地形図に吾野採鉱場索道の記載あり。
昭和35年時点では稼働していたことが推定される(昭和48年時点では廃止されていることは明確であるが)。
昭和41年9月白岩採鉱場開山。
索道は使われず、鉱山としても坑内堀がメインとなり、大きく形態が変わった。
昭和43年3月、阿ずさ津林道開通に伴い吾野採鉱場索道輸送を廃止。
同時に選鉱設備などを林道終点に移設。これらが現在見られる遺構と思われる。
平成11年8月14日 吾野駅を巻き込む土砂崩れ発生
不明点:
・吾野採鉱場索道の稼働開始時期。
・吾野採鉱場索道の世代交代可能性
参考文献著者は2世代の索道の存在を示唆している。
・吾野採鉱場索道の正式名称
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武蔵野鉱業所、白岩、吾野鉱業所関連索道 |
遺構の現存状況:武蔵野鉱業所、白岩、吾野鉱業所関連索道 |